2016年3月30日水曜日

「ミャンマーに学ぶ海外ビジネス40のルール」深山沙衣子 著 一部抜粋 つづき

ひょっとしたら、ミャンマーの位置を地図で確かめるところから始まる人もいるかもしれませんね。公用語はなんだろう、英語は通じるだろうかなど、仕事のことよりも先に、生活に直結したことが気にかかる人も多いでしょう。
 なぜ、ここでミャンマーという国を持ち出したのかと言いますと、私自身がミャンマーと日本でビジネスを行っているということと、ミャンマーは近年経済的な発展をしていく可能性を秘めている国であるため、日本企業や他の国の企業から注目を集めているからです。
 
 ミャンマーは多数の民族が暮らしている国で、ミャンマーという国が成り立つまでの間に、様々な政権が生まれては、交代を繰り返してきました。そうした複雑な歴史は、今なおミャンマー人の生活習慣や経済、ビジネスの仕方に色濃く影響しています。正直申し上げますと、「日本流ビジネス」がすんなりと通用する、付き合いやすいビジネス環境ではありません。
(つづく)




※写真はミャンマー人のいるお好み焼きやで本の営業をする社長

2016年3月29日火曜日

タメインとは

昨日、当社に来たミャンマーの方に、「タメインいいねー」と言われました。そのくらいしか言葉にしなかった無口な彼は、私がUPした本用写真撮影の様子をフェイスブックで見たということです。

タメインとは、ミャンマーの民族衣装のスカートです。ファッションという話題は、政治に興味がない方にも、経済に興味がない方にも、つまり私が書いている本の内容に興味がない方にも、明るい方にも落ち込んでいる方にも響くのだな、と感じたのでした。

「ミャンマーに学ぶ海外ビジネス40のルール~善人過ぎず、したたかに、そして誠実に~」4月下旬発売、一部抜粋

・・・・・・・・・はじめに・・・・・・・・・・・

 この本を手に取ったあなたは、海外ビジネスに興味をお持ちなのでしょう。すでに海外ビジネスの経験を積んでいる人もいれば、これから始める人もいるでしょう。そのなかには、会社や組織からの指示で海外に赴く人もいれば、自らの意思で海外に赴く人がいるはずです。

 そんなみなさんに質問です。

「海外ビジネスをするうえで、なにが一番不安ですか?」

 言葉、食事、住まい、物価、治安、生活習慣など、身近な問題を思い浮かべましたか?

 では、海外ビジネスと聞いて、みなさんはどの国や地域を想像しますか?アメリカやイギリス、フランス、ドイツなどの経済先進国ですか? それとも、低コストでの生産ラインを確保することを見越して、東南アジアなどの経済後進国を想像しますか?
(つづく)



2016年3月27日日曜日

高田馬場で「ミャンマーに学ぶ海外ビジネス40のルール」(深山沙衣子著)のチラシを貼り付け




My companies pasted sales advertisement of my book in Myanmar town in Takadanobaba,Tokyo.

日本の東京、高田馬場のミャンマー人街で「ミャンマーに学ぶ海外ビジネス40のルール」(深山沙衣子著)のチラシを貼り付けております。貼り付けているのはあるミャンマー人2名で、私の息がかかっているものです(笑)。発売の4月20日ごろまで、高田馬場でセロテープとはさみを持って歩いているミャンマー人がいたら、それは私の息がかかっているものです。

ミャンマー料理店ミンガラーバさん、ナウインレーさん、ほか料理店・ショップの皆様、ご協力ありがとうございました!

今後1年ほど、ミンガラーバーさんやナウインレーさんに、この本のチラシが置いてある可能性があります。そして私の息のかかっているものや私が、そこで食事をしているかもしれません。ひきつづきどうぞ宜しくお願いいたします。

2016年3月26日土曜日

ミャンマーのニュース(2016年3月26日)

新生ミャンマーの閣僚リスト

与党となる国民民主連盟(NLD)の新政権の閣僚名簿18名は以下のとおり。

アウンサンスーチー (外務、大統領執務室、教育、エネルギー・電気)
 NLD党首、総選挙に際し「大統領以上になる」と明言。4省に指名され、政権運営における大きな影響力を持つ。閣僚候補のなかの唯一の女性。下院、カウム選挙区。

アウントゥ (畜産・農業・灌漑)
 ヤンゴン大学前学長。在職中には、国際的教育機関との連携を推進し、同大学の学部教育を充実させた実績を持つ。数十年間官吏を務めたが、総選挙への出馬を決め、2015年8月に退任。下院、ヤンゴンのラサ選挙区。

タンズィンマウン (運輸・通信)
 ミャンマー国鉄の元事業部長。ヤンゴン大学卒業。同大学講師を経て、国鉄に就職。下院、モニャワ選挙区。

アウンコー(宗教・文化)
 元将校で宗教省前次官。2010年の選挙に出馬した。連邦団結発展党(USDP)の中央執行委員会委員でシュエマン前議長に近い。同党から一目置かれている。廃止となった科学技術省の担当大臣を務めたこともある。1969年から97年まで国軍。

オーウィン(天然資源・環境)
 非営利団体「ミャンマー総合発展研究所」の諮問委員会委員。イェジン農林大学で教授も務めた。水資源管理について米国コロラド州立大学で修士号。水文学や土壌保全、気候変動、生物多様性についての専門家。NLDメンバーではない。

ペミン(情報)
 医学研究所の博士号を持つ元医師。バンコクのインド‐チャイナ・メディア・メモリアル財団でジャーナリズムを学び、以後執筆家として活躍。小説も数多く書いている。1949年生まれ。ラカイン州出身。

テインスウェ(労働、出入国・人口)
 USDPの中央執行委員会委員。シュエマン氏の盟友。与党USDPの元スポークスマン、軍事政権下で運輸大臣。下院、ラカイン州アン選挙区。

ウィンカイン(建設)
 機械技師。ミャンマー投資委員会の委員を務めた。石油・ガス・物流を扱う企業ユナイテッドエンジニアリンググループの創立者で会長。ラングーン技術研究所を卒業後、1976年にミャンマー石油・ガス企業に入社。2011年、ミャンマー技術協会の会長に就任。ASEAN技術者協会連盟(ASEAN Federation of Engineering Organisations)会員。

ナインテッルウィン(民族問題)
 今回組閣における長老の一人。1940年生まれ、モン族出身。1958年政界入りし、3年後モン発展党入党。1988年、モン族の反政府運動を主導。モン民主党、創立者で元副党首。

ミントゥエ(保健)
 保健省大臣を務めるのは2度目。1回目は1994年に世界保健機関(WHO)の勤務また17年間努めた。 2010年WHOを退任するまで、企画管理、アジア地域アドバイザーなど数多くの職務を経験した。フィリピン、米国の大学で医学、公衆衛生などを学んだ。ミャンマー医療科学アカデミー会員、肝臓財団の副理事長。NLD党員ではない。

タンミン(商業)
 2012年NLD入党、同党経済委員会に参加。ヤンゴン大学で経済学学士、米国パシフィックウェスタン大学で修士・博士取得。公務員、国連(UN)での勤務経験がある。ラインタヤール選出。同地で無料の救急サービスを提供する組織のメンバー。

ウィンミャエイ(社会福祉、難民救済・再定住)
 ヤンゴン、マグウェ、サガンなど国内各地で長年医療分野に従事。小児科医、児童問題専門家。マグウェ医科大学で教授を務め、2015年6月退職。ボランティア活動にも長年関わっている。上院、バゴ選挙区。

キンマウンチョー(産業)
 1950年メクティラ生まれ。韓国の起亜自動車社の指定販売会社、スーパーセブンスター社で技術部長。

チョーウィン(財務・企画)
 1948年ラプタ生まれ。国の企画部、財務部職員を務めた後の1997年、NLDの経済アドバイザーに就任。ヤンゴン大学卒業、経済学学士。米国ブルックリンパーク大学で経営コンサルティングの修士・博士を取得した経歴については議論を呼んでいる。下院、ダゴンのセイカン選挙区。

オーマウン (ホテル・観光)
 同氏の観光業参入は、彼がインレー湖で唯一のゲストハウスを経営していた社会主義時代にさかのぼる。1988年、反政府運動のリーダーとなり、翌年には郡区代表としてNLDに入党。1990年の選挙に出馬したが、翌年インセイン刑務所に送られた。10年の懲役刑判決を受けたが1992年の恩赦で解放され、注目され始めた観光業に目をつけた。以後数十年の間に、インクルプリンセスリゾートなどのホテル業を展開し成功を収めた。2012年、NLDに再入党。

セインウィン中将 (防衛)
 現防衛大臣。昨年の総選挙出馬で退職したウェイルゥィン氏の後任。軍人養成学校の54期生。科学技術分野で特に優れている。沈着冷静な人物とされ、優れた兵士として軍内部での評価は絶大。

チョースウェ中将 (内務)
 防衛学校の22期生。2008年4月のサイクロン「ナルギス」発生時にはアエヤルワディ管区の南西地区司令部の司令官を務めた。軍事安全省の前長官で国境大臣。

イェアウン中将 (国境)
 防衛学校の23期生。カチン州タナイの地区司令部の責任者を経て、マンダレーの中央司令部の司令官、および軍法務部長。以前はシュエマン氏に近かったが、ミンアウンライン国軍最高司令官の側近。 

(Myanmar TimesよりJMSA抜粋翻訳)

















本カバー用写真撮影




本カバー用写真撮影しました。

「ミャンマーに学ぶ海外ビジネス40のルール」深山沙衣子 著

4月下旬全国書店、アマゾンなどネット書店で発売です



2016年3月25日金曜日

タイトル「ミャンマーに学ぶ海外ビジネス40のルール」4月下旬発売です!


当社アドバイザーの新著ご案内です!

タイトル「ミャンマーに学ぶ海外ビジネス40のルール」
著者 深山沙衣子
日本ミャンマー支援機構
日本人アドバイザー

双方の歩み寄りが未来を開く!
異文化地域とのビジネスは言葉以上の
カルチャーショックだらけ。
この一冊に相互理解のヒント満載。
ミャンマーを中心に約300社の海外進出のサポートを行ってきた著者が明かす、
円満海外ビジネスの極意!

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はじめに

第1部:日本人の想像を超える異文化地域とのビジネスの現状
 
第1章:日本人の親切心が、相手に響かないとき

第2章:日本人とミャンマー人の「仕事へのプライド」の違い

第3章:見積もり、メールの常識を忘れよう

第4章:噓をついている前提で相手の話を聞く

第2部:海外ビジネスで失敗しないために理解すべき18のこと

第1章:お金は「長く借りているだけ」

第2章:結果を出す前に重要視すること

第3章:ミャンマー流ビジネスへの理解


第3部:海外ビジネスで成功を得るために「知るべき」現状

第1章:ミャンマーの歩みと歴史

第2章:ミャンマー人とは「ミャンマー流」でビジネスをしよう

第3章:日本が率先して異文化コミュニケーションを展開するための心構え

あとがき
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深山 沙衣子(みやま・さえこ)プロフィール

日本ミャンマー支援機構(ミャンマー人の夫とともに創設)日本人アドバイザー。
1979年東京都生まれ。神奈川県で育つ。
立教大学文学部心理学科卒業。

大学卒業後、マレーシアの国営企業日本支社で勤務。その後広告代理店、出版社勤務を経て、フリーライターになる。

2011年、ミャンマー人の難民として日本に来た男性と結婚。

2012年4月に日本ミャンマー支援機構を起業。ミャンマー人の日本におけるトータルサポート(就職・留学・法的手続き・書類作成・仕事紹介・住居紹介・観光案内)、日本企業や日本の行政機関のミャンマー進出及びサービス提供を行う。現在までに、日本・ミャンマー・韓国・シンガポール企業などのサポートにおいて、300社の実績がある。

会社HP http://www.japan-myanmar.com/
(お問い合わせ) info@japan-myanmar.com

発行:合同フォレスト 発売:合同出版
●46判並製・172ページ 定価=本体1400円+税

4月下旬に全国書店・アマゾンなどネット書店で発売です!!

アマゾンのページはこちらです。


2016年3月21日月曜日

ミャンマーのニュース(2016年3月20日)

ミャンマー 数十年ぶり 初の文民大統領

ミャンマー議会は3月15日、次期大統領にティンチョウ氏を選出した。50年以上に及ぶ軍政以降、初の文民大統領となった。

議会上下両院652票のうち360票を獲得し、ティンチョウ氏大統領決定の結果が発表されると、議員の間から拍手が沸き起こり、同氏は「これは同志スーチー氏の勝利だ、ありがとう」と答えた。

同氏は、昨年11月の総選挙で歴史的勝利を収めた国民民主連盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏の盟友。

(BBCよりJMSA抜粋翻訳)


次期大統領はアウンサンスーチー氏の学友

ミャンマー次期大統領に決まったティンチョウ氏は、国外ではあまり知られていない。しかし、アウンサンスーチー氏の学友で、長年にわたり政治的にも側近として彼女を支え続けたティンチョウ氏の誠実さは、スーチー氏にとって他に得がたいものだ。

軍が依然として大きな影響力を行使すると考えられる複雑な政治状況下において、ティンチョウ氏の大統領としての力量を懸念する声も多く、その政治的手腕は未知数だ。

「大統領以上になる」と宣言したスーチー氏だが、この複雑で見えにくい政権移行の過程において、実質的なスーチー氏の代理としての大統領が選出された後の戦略を明らかにしていない。

しかし、ティンチョウ氏の大統領任命は、軍事政権との長年の戦いでスーチー氏を支えてきたこの人物は国民に受け入れられるという、スーチー氏のねらいを示唆している。昨年11月の総選挙において、数百万もの有権者の支持を得て、圧倒的勝利を収めたスーチー氏への絶大な支持があるからだ。

ティンチョウ氏は、初期NLDメンバーの一人でもあった、国民的詩人ミントゥウンの息子。亡き父が党スポークスマンを務めたこともある妻のススルゥィンは現職議員だ。近年はスーチー氏の慈善財団の運営に携わっていた。教育レベルが高く、スーチー氏に絶対的な忠誠心を持つ人として知られている。
ミャンマー情勢に詳しいコメンテーターはAFPに対し「ティンチョウ氏は、非常に政治的環境に恵まれた家庭の出身だ。ただの人ではない」と述べた。

ティンチョウ氏は1946年生まれ。1968年ヤンゴン経済大学で修士号を得て、その後英国、米国、日本など海外で学んだ。1971年から72年、ロンドン大学のコンピューターサイエンス研究所で学んだこともある。

大学教員や、1970年後半から80年代にかけては、金融・国家計画省、外務省で働いた経験を持つ。軍が支配力を強めたのに伴い、官職を退いた。

(MizzimaよりJMSA抜粋翻訳)

2016年3月16日水曜日

シットウエのポイント


The Point in sittway, coast side view point and let us know the England colonial times 

ミャンマー、ラカイン州シットウエの海岸沿いにあるポイントと呼ばれる場所です。ここはビルマ英国占領時代につくられた、海に向けられた砲台が残されています。

シットウエはビルマを英国が支配してから、英国が開発した港町です。街中にも、イギリス文化の名残らしき場所が見受けられました。なんとなく、開拓使とお雇い外国人によって作られた北海道の街のような雰囲気があるのです。




チャオピューの「インターナショナル」ポートを観に行く



写真は中国企業により開発された中国向けチャオピュー産業港

Photos showed the natural gas loading port for Chinese company in Kyauk Phyu, Rakhine state in Myanmar. 

Local people said International port will be built there in the future, however, there is NO international port except Chinese port that loaded imported natural gas from all over the world to send it to China from Kyauk Phyu. That means Kyauk Phyu industrial port is used only for Chinese, not for Myanmar people from now on.

The security said "Japanese " and "journalist " are prohibited to enter this port, and finally the wife of the security chief rode on our boat when we went back to the town from this port.


チャオピューはミャンマー第三の経済特区が作られる予定ですが、開発は中国企業が行うことになっています。開発予定の国際港まで漁船で観に行きました。

結論は、国際港は開発されておらず、中国用の世界から輸入してきたガス荷下ろし港だけが出来上がっているという状態でした。つまりミャンマーのチャオピューは、2016年三月現在においては、ミャンマーのための港ではなく、中華人民共和国の輸入港そのものなのです。

日本人とジャーナリストは同港に上陸禁止とのことで、上陸中は始終ミャンマー語で会話し、帰りの舟に同港警備員長の奥方が勝手に乗り込んでくる有様です。警備員は中国語のできるミャンマー人でした。


チャオピュー船着き場

2016年3月15日火曜日

ミャンマーのニュース(2016年3月15日)

大統領候補者 3名決定

大統領候補者3名が発表された。上下両院で選出された候ティンチョウ補者は、ともに国民民主連盟(NLD)議員だ。

下院投票では、NLDのティンチョウ議員が274票を獲得。連邦団結発展党(USDP)のサイモウカム博士(現副大統領)はわずか29票、14票が無効票で、ティンチョウ議員が下院大統領候補に決定。

上院投票では、NLDのチン族議員ヘンリーヴァンティオ氏が148票を獲得し、13票のUSDPのキンアウンミン前議長を退け、上院候補に決まった。

外国籍の息子を持つアウンサンスーチー氏は、憲法の規定で大統領になれないが、NLD議員候補二人のうちのいずれかが、次期大統領となることは明らかだ。スーチー氏の長年の友であり、身近なアドバイザーだったティンチョウ議員が、大統領に選出される可能性が高いとみられる。

上院のヘンリーヴァンティオ氏もまた、大統領選挙という大舞台に少数民族(チン族)として初めて参加するチャンスを得たことで、賞賛の的となっている。本紙のインタビューに対し、同氏は「スーチー氏は、すべての少数民族が同じテーブルに着くよう交渉を進めている。少数民族の代表として、包括的和平交渉を支持し、平和構築に邁進する」と答えた。

全体の25%を占める軍議員ブロックの候補は、ラングーン部隊のミンスウェ担当大臣が決まった。3月11日午後のこの発表を受け投票が行われ、3人の中から大統領と2人の副大統領が決まる。任期は5年。NLD候補者が大統領となることが確実とみられる。

(Democratic Voice of Burma よりJMSA抜粋翻訳)


ミャンマーの永住権取得者数 増加

ミャンマーの出入国管理・人口省は3月11日、申請が受理された171人に永住権を認め、さらに100人近い申請者についても、承認にむけて現在審査中であることを発表した。

永住課のミンゾウ課長補佐は「出入国管理・人口省は2014年後半にこの永住権計画を開始し、これまでのところ3回、永住権を認め証明書を発行した。来週(3月13日の週)には、現在審査中の申請者に対し、4回目の承認がおりる」と述べた。

申請が受理された人は、当初5年間の居住が認められる。外国人の専門家、技術者、ミャンマーに1年以上暮らす投資家、ミャンマー国籍を有する人の家族、過去にミャンマー国籍を有していた人が、永住権取得可能な対象者となる。

5年経過後、過去にミャンマー国籍を持っていた人は、国籍取得のための再申請が可能。外国人は、居住延長を申請できる。申請には、500米ドル(約5万6900円)の申請料に加え、一年ごとの支払い金が発生する。元国民は毎年500米ドル、その他の申請者は、毎年1000米ドル(約11万3800円)。

3月9日付け国営紙『ザ・ミラー』の報告では、出入国管理・人口省大臣で、中央実施委員会の大臣も務めるコーコー委員長の「この永住権システムは、ミャンマーの改革と発展に貢献したいと考えている人々を対象としている」という発言が引用された。

しかし、申請を受理されたものは、ミャンマーにおける政治的活動への参加が禁止されており、これまで政治亡命や難民認定を求めてきた人々は対象からはずされる不適格として、多くのミャンマー人亡命者は、このシステムを批判がしている。

1982年の国籍法により、ミャンマーでは二重国籍が認められていない。先の軍事政権下で、様々な理由により国を追われた何万ものミャンマー人亡命者は、難民として、あるいは他国の居住権や国籍を取得して海外で暮らすなかで、自動的にミャンマー国籍を失った。

(Irrawaddy よりJMSA抜粋翻訳)

3/15 フジテレビ めざましテレビ放送分

Our dispatched Japanese Burmese interpreter helped to create MEZAMASHI TV on Fuji television that was on air on this morning, 15 March 2016. The movie showed there were many Myanmar customers who visited to Japanese Kimono fabric store in Nippori, TOKYO.

わたくし、完全に見逃しましたが、本日3/15朝のフジテレビめざましテレビで、当社から派遣しました日本語・ミャンマー語通訳さんが仕事した映像が放送されました。

東京、日暮里の生地屋さんにミャンマー人のお客さんがいらしているという内容です。完全に見逃しました。

2016年3月11日金曜日

ヤンゴンのラーメン屋

Japanese ramen restaurant in Yangon 私と社長の結婚式通訳をして下さったKo Myo Lwin (看板写真左のイケメン)が、ミャンマー、ヤンゴンのラーメン屋につれていってくれました。ひさびさの日本食にかなりコーフンしました。ラーメンギョーザセットにアイスつきで700円ほどでした。




2016年3月8日火曜日

Myauk-U ラカイン遺跡ミャウー

ミャンマー、ラカイン州の遺跡ミャウーへ参りました。

ラカイン王国はその歴史が2000年以上古く、ミャウーはラカイン王国のミャウー王朝の歴史を残す場所。日本からの観光客はそこまで多くありませんが、ヨーロッパからはミャウーへ行き、その後ラカイン州のガパリビーチでくつろぐお客さんがたくさんいます。










2016年3月6日日曜日

ラカイン料理店「サン」

Very delicious rakhine food restaurant in kyauk phyu. チャオピューにあるラカイン料理店「サン」。ここのラカイン料理は本当に美味しゅうございました。すべて同じ色に見えるミャンマーの煮込み料理ですが、ここの煮込み料理は素材によってスパイスの種類と量を微妙に変えてあり、すべて絶妙なマッチングで美味しいのです。

例えばチキン煮込みには少しだけガラムマサラが入るのがラカイン風ですが、私が作るとどうも入れすぎてしまいます。ここのチキン煮込みは、マサラが入っているかいないか微妙な加減で入っていました。さすがです。








ラカイン州チャオピュー報告


ラカイン州にきています。

シットウエ、ミャウー、チャオピューと周りました。

うわさのチャオピュー経済特区予定地は、まだ農地です。

ココがメインの経済特区予定地。


農家立ち退き料金が、一エーカー380万チャット(約38万円)と安すぎるため、農家が希望する立ち退き料金500万チャットと折り合いがつかないそうです。しかし500万チャットもらっても農家の方々は別の土地を買えません。よりよい補償が求められます。



チャオピューガス開発を行うデウーと他ミャンマー、インドとの合弁会社。ココで開発されたガスはほとんど中国向けとなります。


デウー精製分の天然ガスと、世界中からタンカー輸送してきてチャオピュー港でおろした天然ガスを集めている中国企業。ココから中国に向けてつながっているガスパイプラインでガスを中国に送っています。ちなみにこの会社はデウーの向かい側にあります。

チャオピューは総じて、経済面においては中国の望むように使われているミャンマーの少数民族州地域と言えます。

ここで取れる天然ガスの一部をミャンマー人は使って電気を作ります。それから、ミャンマー国の送電線に送り、チャオピューで使える電気が送り返されてきて、ようやく地元チャオピューの人々が電気を使えるというわけです。チャオピュー中心街はそこまで停電はないようですが、中心街から車で30分ほど走らせると、もう電気が通っていません。

この状態を、少数民族は、「イギリスから独立してもビルマから独立できていない」と言うのです。ラカイン人の政党(ANP)が、ビルマ人がトップの政党(NLD)と折り合えない今の政局の根本原因を、チャオピューで見たと思いました。
(2016年3月6日 みやまさえこ)