2014年12月26日金曜日

ミャンマー人忘年会のつれづれ<2014年12月21日の新宿では>




ミャンマー人忘年会のつれづれ<12月21日の新宿では>
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久々に日本にいるミャンマー人の忘年会に参加した。総勢60名が新宿のレストランホールに集まり、ビュッフェ形式で食事を楽しみながら、酒を飲み、談笑(はじける)する。

ミャンマー人の集いで必ず見られるスピーチも、乾杯前に行われる。在日ミャンマー人のリーダー的存在の人々が、「最近のミャンマー人は......」などと、少々説教じみたことを言うのも、日本人の自分には新鮮に映る。

そのうちの一人が、来年、ミャンマーに帰国する。民主化活動を行い、祖国で投獄され、アメリカや日本に亡命した彼の生活も、とうとう節目を迎えるのだ。彼は民主化活動家のアウンサンスーチー氏と同じ時期に京都大学大学院に留学し、現在は日本の大学で教鞭を取る。

参加者全員が自己紹介をするシーンでは、子どもたちがマイクを握るときに、彼らの背後に立ち、半ば脅す。
「ほら! ちゃんとミャンマーの言葉を話しなさい! なんで両親がミャンマー人なのに、日本語を話すんだ」
その姿は、彼の恰幅の良い風貌とあいまって、まるで東北のなまはげのようだ。
日本を去ることに寂しさがあるのか、今回の忘年会では、彼はいつもより口数が多い。若者たちと大いに写真を撮り、カラオケを熱唱し、楽しんでいた。

彼がミャンマーに帰っても、私たちはミャンマーで会える。それでも、寂しい。
そして「彼が日本からいなくなる」という事態が、かつてのミャンマー政権下では信じられないことであり、「ああ、時代が移り行くんだなあ」と感じざるを得ない。
民政移管後、ある雑誌のインタビューで「今のミャンマー政権は、本気でミャンマーを変えようとしているのかもしれない」と発言していた。ミャンマーが2011年以降に外交政策を転換してから、彼はミャンマー大統領府の人間と会うようになった。今後、大統領府と関係する仕事に就く可能性もある。

日本のミャンマー人社会では、いまだにミャンマー社会の不平等を訴える声がある。その一方で、変わっていく部分は確実に変わっていく。
彼のこれまでの努力が、ミャンマーの発展に役立つことを祈っている。ただ私は、寂しいのだ。何年も前から私にビルマの歴史を教えてくれて、私のどうしようもないビルマ語を「ミャンマー語、ジョーズ!」と褒めてくれる彼と、日本で会えなくなる日が近づいているのが。
(みやま さえこ 2015年12月25日)
この記事は日本ミャンマー支援機構メールマガジンに掲載しました。
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