2014年12月29日月曜日

のり進出しませんか?


この日経産業新聞記事を見て思いました

ミャンマーでも富裕層の子どもは肥満が多いです。そういう子どもの食べものの好き嫌いもあります。そして子どもたちは、のりを食べられます。我が家では、ミャンマーの子ら6人が、ごはんにのりを巻いて食べたりしています。

これからミャンマーでも、のりの消費が伸びるでしょう。のり会社か、のり工事設立をご希望される方、一緒にミャンマーでのりを拡販しませんか?


2014年12月26日金曜日

ミャンマー人忘年会のつれづれ<2014年12月21日の新宿では>




ミャンマー人忘年会のつれづれ<12月21日の新宿では>
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久々に日本にいるミャンマー人の忘年会に参加した。総勢60名が新宿のレストランホールに集まり、ビュッフェ形式で食事を楽しみながら、酒を飲み、談笑(はじける)する。

ミャンマー人の集いで必ず見られるスピーチも、乾杯前に行われる。在日ミャンマー人のリーダー的存在の人々が、「最近のミャンマー人は......」などと、少々説教じみたことを言うのも、日本人の自分には新鮮に映る。

そのうちの一人が、来年、ミャンマーに帰国する。民主化活動を行い、祖国で投獄され、アメリカや日本に亡命した彼の生活も、とうとう節目を迎えるのだ。彼は民主化活動家のアウンサンスーチー氏と同じ時期に京都大学大学院に留学し、現在は日本の大学で教鞭を取る。

参加者全員が自己紹介をするシーンでは、子どもたちがマイクを握るときに、彼らの背後に立ち、半ば脅す。
「ほら! ちゃんとミャンマーの言葉を話しなさい! なんで両親がミャンマー人なのに、日本語を話すんだ」
その姿は、彼の恰幅の良い風貌とあいまって、まるで東北のなまはげのようだ。
日本を去ることに寂しさがあるのか、今回の忘年会では、彼はいつもより口数が多い。若者たちと大いに写真を撮り、カラオケを熱唱し、楽しんでいた。

彼がミャンマーに帰っても、私たちはミャンマーで会える。それでも、寂しい。
そして「彼が日本からいなくなる」という事態が、かつてのミャンマー政権下では信じられないことであり、「ああ、時代が移り行くんだなあ」と感じざるを得ない。
民政移管後、ある雑誌のインタビューで「今のミャンマー政権は、本気でミャンマーを変えようとしているのかもしれない」と発言していた。ミャンマーが2011年以降に外交政策を転換してから、彼はミャンマー大統領府の人間と会うようになった。今後、大統領府と関係する仕事に就く可能性もある。

日本のミャンマー人社会では、いまだにミャンマー社会の不平等を訴える声がある。その一方で、変わっていく部分は確実に変わっていく。
彼のこれまでの努力が、ミャンマーの発展に役立つことを祈っている。ただ私は、寂しいのだ。何年も前から私にビルマの歴史を教えてくれて、私のどうしようもないビルマ語を「ミャンマー語、ジョーズ!」と褒めてくれる彼と、日本で会えなくなる日が近づいているのが。
(みやま さえこ 2015年12月25日)
この記事は日本ミャンマー支援機構メールマガジンに掲載しました。
メールマガジン


2014年12月7日日曜日

社長、ミンコーナイン氏らとディナー


当社社長トウンアウンキン(左)とミンコーナイン氏(右)



日本政府が糸を引いてミャンマーの民主化活動リーダーであるミンコーナイン氏が来日している。当社はミャンマーの政治に対してできるだけ中立の立場で、ミャンマー進出を望むお客様のご要望にお応えできるよう商業活動をしています。つまり日本企業にとって、そしてミャンマー社会に利益があるなら、ミャンマーの政商関係者でも、ミャンマーの一般的なビジネスピープルでも、両方ともお客様に紹介できるのです。

しかし多くのミャンマー人が豊かになるためには、今の一部の人だけが利権を握る経済社会構造を保っていいとは思いません。今の社会構造を持続させるような、政商がうようよしているミャンマー商工議会だけにビジネスコネクションを作ることは、ミャンマー社会の健全な民主化につながるとは思えないのです。ミャンマー進出にはまず商工議会を通して、という日経産業新聞記事と、そこでの日本担当者の名前を見て驚きました。ミャンマーで軍政権とべったりの政商だったからです。

日本人は、自らの利益のためにはミャンマーの社会の健全化など考えないかもしれません。ですが、少しは考えていただきたいと勝手に思っています。今のミャンマーで、経済的に向上したい人々は大勢いて、政商と日本企業が仲良くすることで、そうしたごく一般のミャンマーの方々は雇用機会は増えるかもしれません。しかし彼らが、労働者階級ではなく、自ら経済活動をする機会は増えるでしょうか? 自分でささやかな商店をオープンしたい人が、その資金を集めやすい社会になるでしょうか? 

ガソリンスタンド、高級スーパーなどヤンゴン市内の大きな商業活動の元締めは、軍政リーダーの子息が多いです。彼らは、いまのままの社会構造で利権を持っています。いまより多くの人が豊かになる社会を希求して経済活動をしているのでしょうか?

当社が雇用関係にある、もしくは雇用関係でなくとも仕事をしてもらっているミャンマー人に対して、私たちは平均以上の給与を出しています。ですが、今のミャンマー社会で豊かな暮らしをするのは、彼らにとって大変です。衣食住以上に教育費などを含め満足な暮らしをするために、10歳の娘を市場の売り子に出す人もいるのです。その娘さんは、何の疑問も持たず、毎日学校が終わると市場にたち、私たちがミャンマーにいるときは、夜は私の娘の食事の準備をします。

「児童労働にあたるのではないか? そんな働かせ方をさせるなんて」という意見はごもっともです。しかしその児童の親は、もし自分の子どもが働けば、彼らの貧困生活が、少しはましになります。そしてミャンマーの親を尊ぶ文化において、親が仕えている人に対して、その子どもが気を遣うのは当たり前です。だからその10歳の子は、親の仕えている人である私と、私の娘の面倒を見ます。そうすれば、親が楽になるからです。

児童労働を減らすには、社会全体が広くあまねく経済的に豊かになることが必須です。ある程度自由に経済活動できる社会であることが条件です。今のように、何でもワイロで解決する社会では、貧乏人は一生貧乏というミャンマーの社会階級構造は変化しません。日本企業が政商とばかり付き合うと、こうした貧困層のミャンマー人を置き去りにしないか、少し不安があります。


経済活動は政治で決めた地図の上で動いています。政治と経済は切って離せない関係です。ミャンマー社会で、一般の人びとが今より自由に経済活動を行えるようにするには、まだ民主化を促す必要があると考えます。


というわけで、前置きは長くなりましたが、今夜、当社社長はミンコーナイン氏とディナーです。どんな話が出たかは、またお知らせいたします。

ちなみに、当社社長が10年以上前に一緒に日本で皿洗いとして働いていた人が、政商として飛行機会社を所有しています。ミャンマーの政治は、民主化活動家と政権側の人間でも、裏でさまざまなコネクションがあって、お互いがつながっていることが少なくありません。軍にいる次期大統領候補の義妹は、当社社長と一緒に15年ほど前に東京でホテル清掃をしていました。当社社長は民主化活動を続けてきましたが、今も彼女と共に日本で生き抜いてきたという仲間意識があります。当社の社員も、社長の昔の同僚で政商となった人々も、みなができるだけ納得のいくミャンマー社会とはなにかを考えて商業活動をしていく必要があるのではないでしょうか。そんな簡単な話ではないのですが。
(みやま さえこ 2014年12月6日)