2014/5/25に神奈川県横浜市神奈川区で開催されました「かながわく国際交流まつり」に当社、日本ミャンマー支援機構が参加いたしました!
今年は初めての参加で、いつもお世話になっております国際交流塾かなかわさまのブース内にパンフレットなどを置かせて頂きました。来年は自分たちでテント、ブースを作って、と言われましたので、活動範囲を広げるべく、来年は野望を持ってみずからブースを置かせて頂くかもしれません。がんばります(*^^*)
この会場で横浜で長年国際交流、多文化共生、NGO活動に携わっていらっしゃる多くの方々と知り合うことができました。
「地元、横浜から多文化共生を」という目標は、当社の営業活動の根底に流れる思想です。
このブログの著者であり、日本ミャンマー支援機構のアドバイザーをつとめる深山沙衣子は、横浜で中華街の外国人とともに学生時代を過ごし、今から20年ほど前、深山が10代のころから、当たり前のように日本の多文化共生について考えてきました。その当たり前の思考が、日本でまったく当たり前でないと気づいたときから、そして日本にいる日本国籍以外の人びとの葛藤と、無知による差別を肌で感じているのに解決法が見いだせないことから、物書きを志すようになりました。
20年たった今も、考えていることはあまり変化がありません。
「この私の足元の地、横浜から、日本の真の多文化共生ができるのか」
日本国籍以外の人間が会社をつくり、日本社会でその子らが教育を受ける上で、文化の衝突する場での葛藤をどのように円滑化していくか。
成人になるとはすごいことです。振り返ると、10代のアイスクリーム屋のバイトの少女は、バイト先での文化の衝突場面において、なにもすることかできなかった。呆然と現実を見るだけで、やるせなさの吐き出し口がなかったわけです。
ところが今は、多文化共生を実現するための会社を経営し、異文化の文章を書き、国際交流のイベントに参加して自分の存在をアピールできるのです。あの横浜のアイスクリーム屋や、公立高校にいて、中華街の家庭の様子を覗き見している昔の私は、無力だった。しかし、今の道につながっていたのだと気がつきました。
振り返ることができるほどの実績を積んでいないにもかかわらず、なぜか昔話を思い出しました。これからも横浜で多文化共生の実現に向けた活動を続けていきます。今回のまつりを機に、横浜の国際交流団体との交流を深めることが、当社のタスクとして1つ加わりました。